盛岡家庭裁判所宮古支部 昭和32年(少)104号 決定 1959年3月28日
主文
本件を盛岡地方検察庁宮古支部の検察官に送致する。
理由
一、罪となるべき事実
下記の記載事実と同一であるからこれを引用する。
(イ) 昭和三二年少第一〇四号事件については、司法警察員作成の同年三月一五日付少年事件送致書中の犯罪事実らんに記載の事実
(ロ) 同年少第一〇五号事件については、司法警察員作成の同年三月二日付少年事件送致書中の犯罪事実らんに記載の事実
(ハ) 同年少第一〇六号事件については、司法警察員作成の同年三月一二日付少年事件送致書中の犯罪事実らんに記載の事実
(ニ) 同三三年少第九八号事件については、司法警察員作成の同年二月一二日付少年事件送致書中の犯罪事実らんに記載の事実
(ホ) 同年少第五二二号事件については、司法警察員作成の同年九月二日付少年事件送致書中の犯罪事実らんに記載の事実
二、適用すべき罰条
上記事実のうち、(イ)の点は刑法第二三五条に、(ロ)のうち、一の点は同法第二四九条第一項に、同二の点は同法第二二二条第一項に、同三の点は同法第二〇八条に、(ハ)の点は同法第二〇四条に、(ニ)の点は同法第二二二条第一項に、(ホ)の点は同法第二四六条第一項にそれぞれ該当する。
三、生年月日についの判断
上記本人の生年月日につき検討するに、北海道寿都郡寿都町長作成にかかわる昭和三三年七月一五日付の上記本人の身上調査に関する回答書によると、上記本人の戸籍簿にはその生年月日が昭和一四年一二月二五日と記載されていることが認められ、その記載によれば上記本人は未だ二〇歳に満たないことになるから、当然少年法の対象となる少年に該当するといわねばならない。ところで、戸籍に記載すべき事項については虚偽の届け出をすることは許されないし、またほとんどすべて真実に合致する届け出がなされていることは経験則上明らかであるから、義務者の届け出にもとづいて戸籍簿に記載された生年月日は真実のものであつて、その記載の日に出生したものと一応推認するを妨げない。しかし、特定の人がいつ出生したかということは事実問題であつて、戸籍上における生年月日の記載は、たんにその事実を立証するための重要な証拠資料たる意味を有するにすぎないから、もし他の証拠によつてその記載が真実に合致しないと認められるときには、とくにその誤つた記載を真実に合致させるため戸籍訂正の手続などを経るまでもなく、認定された真実の生年月日にしたがつて事を処理すべきである。
よつて審案するに、司法巡査作成にかかる昭和三二年三月一二日付の身上調査表、当裁判所調査官作成の少年調査表およびBの当裁判所調査官にたいする陳述録取書ならびに当裁判所の上記本人にたいする審問の結果を総合すると、上記本人はB、Cの間に二男として宮古市において出生したが、その出生年月日は昭和一〇年八月二五日であつたこと、事件本人が出生当時父のBは国鉄に勤務し、大船渡線の大船渡と盛との間の鉄道線路開通工事に従事していたため家族とは別居して生活していたこと、上記本人が出生するや直ちに留守宅の家人から出張先の父Bにたいしてその旨の連絡があつたので、Bは出生した子の名を「A」と命名するとともにその旨を速かに戸籍管掌者に届け出るよう、家人に書信をもつて連絡したが、その頃Bの留守宅には産婦たる上記本人の母Cと無学文盲でしかも年令六〇余に達した母方の祖母Dならびに幼児たる兄Eがいるだけで他に成年者がいなかつたため、上記本人の出生届をすることなくそのまま放置していたこと、父Bは上記連絡により当然出生届がされているものと思つていたが、その後公務傷害を受け国鉄を退職するのやむなきにいたつたため、昭和一四年一二月頃、国鉄の公務傷害退職者として宮古駅構内に売店を開業する許可を得たいと考え、許可申請に必要な戸籍謄本の下付を受けてみたところ、意外にも上記本人についての戸籍の記載がなかつたので、そのときはじめて同人の出生届がされないでいるのを知つたこと、父Bはもし真実の生年月日を記載して上記本人の出生届をすると、届け出を怠つた故により制裁を受けることをあるを恐れ、これを免れるため、その頃上記本人が昭和一四年一二月二五日に出生した旨の出生届を戸籍管掌者に提出したことが認められる。
四、結論
上記の認定によつて明らかなように、上記本人の戸籍上の生年月日の記載は虚偽の届け出にもとづくものであつて、真実の生年月日は昭和一〇年八月二五日と認められるから、上記本人はすでに昭和三〇年八月二五日の到来とともに満二〇歳に達しており、少年法の対象となる少年に該らない。
よつて、少年法第一九条第二項にしたがい、本件を管轄すべき盛岡地方裁判所宮古支部に対応する盛岡地方検察庁宮古支部の検察官に送致することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 岡垣学)